せめて西日本の人たちだけでも……。プロ野球開幕を想い、被災地を歩く。

確かに…。
この記事のご意見一理あるかもっと思いました。
福島原発の方から電気の供給が来る関東ならいざ知らず、関西がいつまでも沢山のイベントを自粛している必要もないかなと。
自粛=経済の停滞にもなってしまうし。
何より、被災にあっていない西日本の人々までもが必要以上に深刻になり、自粛ムードの波にのまれてしまうこと。イベントを中止しすぎてこれ以上倒産するイベント運営会社を増やさない事。これも言えると思う。
「戦争とは違う。日本全部がやられたわけではない。西日本は生きているんだから大丈夫」といった方の言うとおりかもしれないなと思いました。





せめて西日本の人たちだけでも……。プロ野球開幕を想い、被災地を歩く。
(3月28日 Number Web)





衝撃的な光景だった。

 東北地方太平洋沖地震後、3日目。西日本のある地域へ出張に行き、競艇場の近く(といっても電車で十駅ほど離れていた)の喫茶店に入ったときのことだ。

 震災報道が気になり、わざわざテレビがある喫茶店を見つけて入店したのだが、壁に掲げられていた大型液晶テレビは、競艇専門チャンネルに合わせられていたのだ。

 しかも、その画面は、3月いっぱいはレースの開催を中止するという告知が映っているだけだった。その静止画を眺めながら、店のマスターとお客さんは「かなわんなあ……」とレースの中止をしきりにぼやいていた。そこでは大地震のことなどまるで別世界の出来事だった。

 東日本と西日本で、ここまで温度差があるとは……。

 その後、西日本の別の町も訪れたのだが、そこもやはり同じように日常の「陽」があふれていた。

 ただ、不謹慎な、という感情は湧いてこなかった。むしろ、安堵感があった。日本全体がダメージを受けているわけではないのだ、と。ここにはまだ日常があるのだ、と。

■せめて西日本だけでも平穏に野球を楽しんでほしいのだが……。

 プロ野球をいつ、どのような形で開催するのか――。

 この十日間あまり、プロ野球界はその問題で揺れていた。

 出張先でそんな光景を目にするまでは、ダルビッシュ有の「野球人である前に人間。野球をやっていていいのかなと思う」という発言に深くうなずいていた。確かに、そんな状況ではないように思われた。

 でも、競艇ファンのぼやきに耳を傾けながら、もしプロ野球が中止になったら西日本の野球ファンも心にぽっかりと穴が開いてしまうのだろうなと思った。西日本のファンは、被害の実感が希薄なぶん、東日本のファンほどには割り切れないのではあるまいか。小さい子どもなど、なおのことそうだろう。

 だったら、そんな西日本のファンのためにも、一日でも早くプロ野球を開催した方がいいのではないかと思えた。つまり、当初、セ・リーグが主張していた予定通り開幕するという案は、必ずしも間違ってはいないのではないかと考えていた。

 プロ野球の存在が、被災地のファンを勇気づけられるかどうかはわからない。それを開催の理由にするのにも違和感がある。しかし、プロ野球があれば、少なくとも西日本の人たちは日々の活力を維持することができる。開催理由も開幕を待ちわびているファンのためというシンプルな理由であれば納得できる。

 無論、無理してまでやる必要はない。それはそれで見る人の心にも、やる人の心にも負担になる。でも、節電や開催地の問題等、いくつかの問題点をクリアすることで済むのであれば、プロ野球界の日常をいたずらに乱すのは、長い目で見た場合、むしろ復興の妨げになる気がした。

■すぐに被災地に行ってみた。そこで考えたこととは?

 先日、ある被災地を歩いた。年配の被災者はこう話していた。

「戦争とは違う。日本全部がやられたわけではない。西日本は生きているんだから大丈夫」

 また、ある女性にはこう言われた。

「久々に心にゆとりのある人と話をしてホッとしたわ。もう、このへんの人は、みんな自分のことでいっぱいいっぱいだから」

 いまいちばん怖いのは、被災にあっていない西日本の人々までもが必要以上に深刻になり、自粛ムードの波にのまれてしまうことなのだ。それでは共倒れになってしまう。すでにコンサート等の相次ぐ自粛で、あるイベント会社が倒産したというニュースまで伝わっている。おそらく悲劇はその会社だけにはとどまらないだろう。

 東日本が大混乱に陥っている今だからこそ、せめて、西日本の人たちには今まで通り学校や仕事場に通い、それ以外の時間は余暇を楽しんでほしい。その人たちが直接的に何かをしなくとも、西日本の人々が元気で、西日本の社会が元気であれば、それがひいては日本全体の復興につながるはずだ。

 また、東日本の人にとっても、変わらぬプロ野球界の姿は、勇気とまで言わなくとも、少なからず精神安定剤の代わりになるのではないか。

■野球には野球にしかできないことがきっとあるはずだ。

 被災者の今の気持ちを慮ることはもちろん大切だ。だが、同時に大事だと思うのは、日本が一刻も早く立ち直り、被災者が元通りの生活を取り戻すために、それぞれが一生懸命活動していくことだと思う。

 そういう意味では、セ・リーグが世間の猛反発を食らいながらも自粛ムードに抗う姿勢は、やや配慮に欠けていたとはいえ、被災者のことを第一に考えるという点においては反対派と相違はなかったのだ。

 ただ、いかんせん、俺たちの言うことに従えという傲慢さがまずかった。

 あれでは伝わるものも伝わらない。

 結局、セ・リーグは二転三転したものの、4月12日、パ・リーグと同時開催するという方向で落ち着いた。

 最後にひとつ。「野球で勇気を与えたい」と発言することが、思い上がりだとか、こんなときに非常識だ、という風潮がある。これだけの惨事だ。無力感に苛まれる気持ちはわからないでもない。だが、一方的に卑下するだけということもあるまい。

 日本は世界で唯一、野球がナンバー1スポーツであり続けている国だ。こんなときだからこそ、野球には野球にしかできないことがきっとあるはずだ。



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